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螺旋階段 2


Chapter 3


 隣の家のチャイムを押すと、顔を出したのはおばさんだった。
「あら、智ちゃん。晶久、まだ塾から帰ってきてないのよ」
「あ、そっか。忘れてた」
 いつもは塾のない曜日だが、春休み中は春季講習で晶久はほぼ毎日塾通いなのだ。
 智紀が戻ろうとすると「そろそろ帰ってくる頃だから中で待ってたら」と呼び止められ、その言葉に甘えることにした。
 リビングのテレビはニュース番組がついていた。ダイニングのテーブルの上にはノートパソコン。書類らしきものが広がっているところを見ると、どうやらおばさんが仕事をしていたらしい。
「あ、お仕事中だったら帰りますよ」
「ああ、気にしないで。大したもんじゃないから」
 晶久の母は市役所勤務の公務員だった。女性ながらも、それなりの役職の人らしい。こうやって家で仕事をしていることが度々あった。
「それに晶久がいないと私一人だから。藤田さんには悪いけど、男の子がいてくれると安心できるのよ」
 深谷家は本来五人家族なのだが、現在この家にいるのは晶久と母だけである。
 深谷家の家長である父は、大手都市銀の銀行員で、昨年から大阪本店を立ち上げる為に赴任中。
 晶久には八つ上の双子の兄がいるが、長男・武志(たけし)は大学卒業後に家電メーカーに入社したものの、いきなり大阪支社に飛ばされた。次男・裕志(ひろし)は進学した大学自体が京都で、現在は大学院で物理学の研究中。博士号を取る気で、当分戻って来る気はないらしい。
 そんなわけで、「深谷家・関西チーム」と銘打った父と兄二人は、大阪のマンションで共同生活を送っている。
「智ちゃん、夕飯食べた?」
「あ、はい」
「甘いもの平気だっけ?」
「全然平気っすよ」
「シュークリームがあるんだけど、食べない? 晶久、あんまり甘いもの得意じゃないから。一人で食べるのも空しいのよね」
 智紀は思わず両手を上げた。その様子に彼女は嬉しそうに笑う。
 お茶と共に出されたシュークリームに齧り付き、ぺロリと食べ切るのに一分と掛からなかった。お茶を啜りながら時計を睨む。
 そろそろ帰ってきても良さそうなんだけどな……。
 彼女も同じことを考えていたらしい。時計を見ながら「遅いわね」とため息をついた。
 智紀は不意にカーテンの隙間から窓の外を見る。そこから見えるのは駅とは逆の、住宅地の明かりが広がる光景だが、この時期ばかりはいつもと違っていた。
 満開になった桜の花を照らすようにライトが灯っていた。街のあちらこちらで桜の花が暗闇に浮かんでいる。それは綺麗な風景だった。
 智紀はふとあることを思い出し、晶久の家を出た。通路の最奥にある晶久の家の更に奥には、非常階段を兼ねた螺旋階段がある。鍵の掛かっていない防火扉を開けて螺旋階段の中に入ると、周囲をぐるりと見回した。
 探していた影は半階上の階段に腰を降ろしていた。
「やっぱりここにいた……」
 コートに身を包んだ晶久は夜の街を眺めていた。彼は智紀の姿を見ると一瞬、驚いたような顔をする。
「何でココが分かった?」
 その問いに、智紀は思わず苦笑した。
 だってこの螺旋階段は、お前が一番好きな所じゃないか。春の桜も、夏の陽炎も、秋の夕日や紅葉も冬の雪も、季節の色に染まった街の風景をここで眺める時の顔が、一番安らいでいるように見えるのだから。
 ほぼ同じ風景が自分の家のベランダから見えるというのに、それでもここが好きなんだ。
 智紀は階段を上り、晶久の隣に腰を降ろした。
「風景眺めてるのはいいんだけど、寒くないの?」
 智紀の問いに、晶久は「いや、別に」と首を振る。その返事に、思わず互いの格好を見比べた。
 ……愚問だった。
 コートを着ている晶久に対し、智紀は長袖のTシャツに厚手のシャツを羽織っただけ。温かくなってきて、部屋で過ごす分にはちょうどいいが、陽の沈んだ夜の風には肌寒かった。
 智紀が「寒い」と言いながら晶久にくっ付くと、彼は首に巻いていたマフラーを外して智紀の首に巻き付け……るどころか、力を込めて締め付ける。智紀の喜びは一瞬にして恐怖に変わった。
「やめれ〜っ」
 マフラーが緩み、ホッと安堵のため息をつくと、晶久は隣で楽しそうに笑っていた。「笑い事じゃないって」と言いながら彼の頬に拳を当てて軽く押すと、晶久は笑いながら力に逆らうことなく首を向こうへ倒す。
 晶久は手を伸ばして後ろに置いた鞄に手を伸ばした。そしてそれを掴むと立ち上がり、コートの尻に付いた砂埃を叩く。
「帰るか」
 頭上から聞こえてきた声に顔を上げると、晶久が笑顔で智紀を見下ろしていた。智紀は思わず手を伸ばす。その意味が通じたらしい。彼はその手を掴んで上へと引き上げた。
 その力に導かれるように立ち上がるが、智紀はその手を離すことが出来なかった。不自然に手を繋いだまま、同じ高さの視線がかち合う。その目に吸い込まれるように顔を近付けたが、晶久の視線は下に落ち、繋いだ手を見ていた。
「冷たい」
「え?」
「手が冷たいって言ってんの。さっさと戻るぞ」
 そう言って彼は階段を降り始める。繋いだ手に引っ張られるようにその後を追った。
 手なんか久々に繋いだ気がする……。
 智紀は先を行く晶久の背中を見ながら嬉しそうに微笑んだ。


 遅めの夕飯を食べている自分の目の前で、二人が違うものを食べていた。晶久は呆れた顔で正面に座る母と右斜め前に座る智紀を睨む。
「人が飯食ってる時に、食ってるものと違う、甘ったるい匂いさせんな」
 二人は本日二個目のシュークリームに齧り付いていた。
「はいはい、悪うございましたね」
 そう言いながら母は湯飲みを持ってリビングのテレビの前に移動するが、智紀は手元のシュークリームと晶久の顔を見比べると、残り半分を口の中に放り込む。
「ふぁい、ないな〜い」
 頬を膨らませて両手を振っているマヌケな智紀の姿に、晶久は思わず飲んでいた味噌汁を吹き出した。
「きたねーな」
「お前が目の前で馬鹿なことやってるからだろっ!」
 文句と同時にテーブルの下では蹴りが飛んでいたのは言うまでもない。
「そもそも、何でお前、当たり前のようにそこにいるんだ」
 本当はもっと早く気付くべきことだった。螺旋階段からの流れで、何となく手を繋いだまま家に入ったが、智紀も当たり前のような顔をしながら付いてきて目の前にいる。
「智ちゃん、お前が帰ってくるの待ってたのよ」
 智紀は茶を啜りながら何度も頷いた。
 人の親を味方に付けるなっ!
 晶久の蹴りがもう一発飛んできた。

 部屋に入ると晶久は机に向かい、智紀は当たり前のように彼のベッドに寄り掛かる。
 晶久はとりあえず智紀を無視しようとするが、それを気にすることなく、智紀は口を開いた。
「今日さ、戸田・上嶋コンビに襲われ掛けてさ……」
 晶久の興味を引くにはもってこいな話題だったようだ。彼は勢いよく振り返り、床に座る智紀を見下ろした。
「……………………」
 何かを言いたそうにしている晶久の表情を読み取り、智紀は「冗談じゃなくてマジだからね」と苦笑する。
「……バスケ部の助っ人だったんじゃねーの?」
 その問いに智紀は頷いた。
「助っ人よ。ちゃんと仕事は果たしたよ。出場メンバーの中で一番ポイント決めたさ。……勝敗はともかく」
 ということは、つまり「自分の役割は果たしたが、自分以外がまるでダメだったがために勝ちは逃した」と言っているようなもんだ。
「で、何で襲われるんだよ」
 智紀はどう説明しようか悩み、唸りながら頭を掻いた。あの二人に自分達の関係が知られていることを晶久が知ったら、途端にこの部屋から叩き出されるのは確実なわけで。
 眉間に皺を寄せて唸りながら悩んでみるが、上手く取り繕えるような解説は出来そうになかった。とりあえずは適当に誤魔化すしかない。
「あのコンビも学校に来ててね。で、まあ色々と話をしてたわけだ。が、何がどうなったんだかよく分からないんだが、上嶋先輩に押し倒されて、それに戸田先輩の乗ってきたと。『ちょっとアホな小動物っぽくてカワイイ』んで『せっかくだから3Pやらない?』だとさ」
 晶久は呆れた様子で頭を抱えていた。
「冗談が冗談じゃなくなってきた辺りから『ヤバイ』と思って逃げたけどね」
 そう言うと智紀は腰を降ろしたまま晶久の座る椅子に寄り、彼の顔をじっと見上げた。晶久は椅子の背凭れに肘を乗せ、不思議そうな顔で智紀を見下ろしている。
「とりあえず『悪かったなぁ』と思って」
「何が?」
「押し倒したこと」
 晶久は智紀を軽く蹴っ飛ばした。
「今更……」
「ん。今更だとは思うけどね。俺も今日、怖かったんで、『ああ、晶久もこんな感じだったのかな』と……」
 そう言いながら晶久の目を見ると、彼はスッと視線を外した。今までは目を見ても視線を反らされることはなかったが、あの一件以来、彼は視線を合わせることを極力避けている。
 智紀は晶久の足を掴むと膝立ちになった。そして彼の胸倉を掴む。
「悪かった」
 そう言うものの、晶久は顔を引きつらせながら智紀の頭に拳を落とした。
「『悪かった』って言いながら、人の胸倉掴むヤツが何処にいるっ!」
 しかし智紀は開き直る。
「ここにいるっ! っていうか、謝ろうとしてんのに視線反らすなよっ!」
 その言葉に、今度は晶久が智紀の胸倉を掴む。
「隙を見せたらテメーは何やらかすか分かんねーだろっ! さっきも階段でキスしようとしたじゃねーかっ!」
「しょうがないじゃないかっ! 好きなんだから!」
 智紀が立ち上がって、椅子に座る晶久を押し倒したのはその直後だった。唇が合わさり、勢いのまま晶久の体が背後へ倒れ込む。
 倒れ込む……が、そこに背凭れはなかった。当然だ。背凭れは晶久の「横」で、今さっきまで彼が腕を乗せていたのだから。
 晶久は慌てて腕を乗せていた椅子の背凭れを掴もうとするが、何を勘違いしたのか、その手を智紀が払い除けてしまう。
「あっ!」
「えっ?」
 予想外の状況に、お互い咄嗟に対応できるはずもなかった。ドスンッと重い音が響いて、共に椅子から転がり落ちてしまった。
 晶久の上に智紀が乗っていた。額がぶつかり、互いに「痛い」と顔を顰める。晶久は自分の上にいる智紀に「退け」と文句を言うものの、足を椅子に乗せたままの晶久に対し、智紀は体がエビ反りになり、足を引っ掛ける場所を探して、ただもがくだけだった。倒れ込んだ空間は狭く、椅子を倒すかズラすかしないことには、身動きが取れない。しかし、その椅子を倒す場所もなく、ズラすこともできず……。
「何、騒いでんのよ」
 突然響いた音に驚いたのか、晶久の母が部屋に入ってきた。
「おばさん、助けて〜」
 智紀の情けない言葉に、晶久の母は苦笑しながらその足を掴んで自分の方へ引っ張った。小柄な女性だが、さすがは男の子三人の母である。その力は大の男を動かすくらいは訳無いようだ。
「あんたたち、一体、何やってたのよ」
 そんなことを問われても、理由なんぞ説明できるはずもなかった。この世の中の何処に「あなたの息子を押し倒してました」と言える男がいるのか……。
 晶久の母の力を借りて起き上がった智紀は、自分の手を伸ばして晶久の体を起こす。互いに顔を見合わせて自分の額を擦るが、その様子を見た母が、二人の前髪を同時に掻き上げた。
「あら、タンコブ出来てるじゃないの。いい歳して二人とも何やってんのよ」
 母は呆れながら部屋を出ると、湿布を持って戻ってきた。晶久の机からハサミを取ると、一枚の湿布を半分に切って、二人の額にペシッと貼り付ける。
「もう、幼稚園はとっくの昔に卒園したんだから、十年前と同じことやらせないでちょうだい」
 そう言うと湿布薬の袋を閉め、ため息を吐きながら部屋を出ていった。
 二人は額に湿布を付けた互いの顔を見て、思わず吹き出した。十年前はそこら中を一緒に走り回って傷だらけになり、あちこちに絆創膏が絶えることはなかった。
「なんか昔に戻った気がする」
 どちらともなくそう呟いて、また苦笑した。
「傷作った理由だけは歳相応っぽいけどね」
「っつーか、もう少し状況を考えろよ」
 晶久の言葉に、智紀は目を丸くして彼の顔を覗き込んだ。その様子に、晶久は不思議そうな顔をしている。
「…………何?」
「いや、それって状況を考えたらキスしてもいいのかと……」
 晶久の顔が瞬時に真っ赤になった。
「そんなこと言ってない!」
 その顔が妙に可愛かった。智紀は「はいはい」と言いながら顔を近付ける。晶久の顔が退いたが、さっきの件があるせいか、とことんまで逃げる気はないようだ。頭を押さえて唇を捕まえると、空いた腕を腰に回して抱き締めた。
「やっばりそう簡単には諦められないのよ。この恋はね」
 唇を離すと智紀がそう囁いたが、それに反論するかのように晶久はドンッと智紀の胸を叩く。
「感情の赴くままに突っ込んできて、巻き込まれて怪我までさせられる身にもなってみろ」
 晶久の低い声がした。智紀は「ゴメン」と言いながらその頬にキスをする。
「でも、怪我したくなかったら、逃げなきゃいいのさ。悪いけど、逃げるなら何処までも追い駆けるよ。俺はね」
 晶久は顔を顰めていた。その嫌がる感情すらも包み込むように、智紀は彼をギュッと抱き締めた。
「追い駆けっこで怪我するより、恋の炎で火傷したいところなんだけどね〜」
 智紀のあまりにもバカバカしい一言に、脱力した晶久はその腕から滑り落ちていった。
「あり?」
 智紀は目を丸くして腕から抜け落ちた晶久を見つめる。彼は呆れたような顔で智紀を見上げた。
「…………お前がここまでバカだとは思わなかった……」
 そして彼はベッドに凭れ掛かると、いつまでも楽しそうに笑い続けていた。


螺旋階段2・END


螺旋階段 1 Chapter 1 Chapter 2 Chapter 3
螺旋階段 2 Chapter 1 Chapter 2 Chapter 3


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